警察の動きが鈍い
・国家権力の二つ名で知られ、
よく「にぶちん」「イヌちゃん」などと誹謗される警察。
今回はその「にぶちん」と言われる点についてメモ。
警察は動きが鈍い。腰が重い。面倒くさがり。
そんな風に言われます。
最後の「面倒くさがり」は腐った体質なのでフォローしませんが、動きが鈍い点については少しだけ援護射撃しておきます。「何故」腰が重い子なのか、という理由を前向きに考える程度ですけど。
それにはまず、彼らが「公僕」であり「法の実行力」であることを思い出さねばなりません。
彼らが動けば、少なからずマスゴミ(警察がイヌならやつらはハイエナ)も鼻を利かせて探りを入れます。そうなると地域の目が見逃さず、奥様ネットワークだの子供サーチなどの力で噂が尾鰭をつけて走り出してしまいます。最悪、ちょっと突き飛ばした程度でも鈍器持って追い掛け回された末にあわや致命傷の一撃をあおられた、なんてレベルに発展することも、最近の情勢を見る限りでは、もはや否めません。
警察が動くということは、すなわち故意であろうが未必であろうが「おおごと」になるということです。
小さな社会で細々と生きている末端の住民である私たちにとって、「おおごとになる」のは出来る限り避けたい事。なぜなら渦中に居ればいるほど注目を集めてしまう、それは今までの生活を一変してしまう事になりかねません。人間、他人の不幸は蜜の味、という愚かな嗜好を持つものも少なくないですし、事実を捻じ曲げてでも「おおごと」にしたがるマスゴミレベルのカスも存在します。世間で言う「オバチャン」がそれに当たりますね。私が最も嫌うタイプの人間以下の下衆的存在なので言葉が荒くなってしまいますが、まあ、あいつらの好奇の目に終始付きまとわれて平気な人ってなかなかいないです。
以上のように、「おおごと」というのは周囲を巻き込むカスケードボムのようなものであり、「肉を切らせて骨を絶つ」戦法に近いのであると、私は考えます。大なり小なり、こちらも被害を被るものです。そして警察もそれを重々承知であり、かつ彼らは「法の実行力」である自覚がある。人ひとりの人生なんて小指の先でカンタンに破壊することが出来ると知っている。(実際は定かではありませんが、その通りであると私は思うからこのように書いています。
三顧の礼、かの有名軍師を表舞台に引っ張り出した時、劉備は彼の門前へ三度も赴いている。それは孔明が、自分の頭脳が民衆を含めた何もかもに及ぼす能力を自覚していたため…じゃないけど。
まあ劉備ゲントクを見習ってですね、腰が重いのも承知してあげて欲しいと思うのです。彼らだって、何も好き好んで石の上に座ってるわけじゃないんで。
そして民衆にとっては最後の頼みの綱ですので、日頃から点検の意味で周囲の警察の対応や根回しなど、徹底しておくのが良いと思います。やっぱり官憲って田舎であればあるほど腐ってしまうので。