荒れ荒れですぅ
・http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1162901443/
にちゃんねる「いじめ悪くない。いじめるのも個性」の発言に関する問答(?
すぐ消えるだろうからリンクは張りません。
おおまかに論争の焦点を拾うとこんなかんじか。
・いじめられる側が悪い
「んなこたぁーない」
・イジメのなにが悪いのか
・イジメは犯罪。しかし児童ナントカ法で守られてるからグレー
「だったらどうにか処罰出来るようにするべきだ」
・いじめは快感。
「それは攻撃的な動物である人間であるため仕方がない(当然である)こと」
「脳障害の恐れ有り」同様のものに「脳には愛を感じる器官があり、その部位の未発達、疾患などが原因で心の痛みを感じられない人間も居る」というのがありました。
・その他くだらんこと。
スレに書くほどでもないので(つーか頭悪い頭悪いてお互いに貶しあってるだけだこのスレ。
私の考えをここにまとめておく。
ちなみに私は「いじめられた側」であるため、そちらに視点がシフトしているのはご容赦。
>・いじめられる側が悪い
もちろんこれには答えることができない。なぜなら Yes であり No であるから。ケースバイケースという便利な言葉があります。
実体験から、身体的な特徴を持ち出していじめの基盤とする場合のいじめについては「No」と言えるでしょう。また思考、嗜好、指向など周囲と相容れないものを持つ人間を迫害するのは、まあひどく当たり前のことながら「No」です。
では「Yes」の場合を考えてみましょうか。いじめられて当然といえる状況。
まず「因果応報」。かつて自分が行っていたことが己の身に降りかかっている場合ですね。断言できかねますが限りなく「Yes」で、私はおそらく被害者を助けるために動いたりしません。もしもヘルプを求めれた場合には助言するか、そのときの状況を読んで現実的な対応をするでしょう。どんなに恨みがあろうと、タブン断ったりはしません。タブン。そして、加害者がヤなやつなら個人的な感情でそれを糾弾するために働き、間接的、結果的に被害者を助けてしまうかもしれませんが、まあ已む無し。それで被害者がまた加害者に回るようなら、全く同じ方法で叩きのめしますが、更生しないでしょうねそういうバカは。
次に、いじめそのものが「被害者の妄想」であり、それが発端でいじめに等しい状況が展開されているという場合。本文そのまんまなのでノーコメントで通したい。けど、書いておかなきゃな。「妄想」と表現しましたが、まあ被害者本人の主観なので現実をどうとでも捕らえることが可能なのです。例えば「取り落としたシャーペンを偶然蹴っ飛ばした」ってな場合。この程度のことですから蹴っ飛ばした人間は「やーごめんごめん」と軽く笑って済ますものですが、本人は「いじめだ!」とジンマシン発作みたいな過剰な反応を見せます。そして妄想は広がるわけです。やっかいなことに現実にあるらしいですよこういうケース。まあ補足として。「いじめに等しい状況」というのは村八分というか、周囲が関わりを持ちたくなくて個々の判断で無視しているような状況ですね。これ、傍から見れば集団で無視しているようなものなので、これは私はシロとみなしたいのですがグレーです。
まだありますが、もう長くなったので次に移ります。ケースバイケースなんですホント。
> ・イジメのなにが悪いのか
「どうして人を殺してはいけないの?」
という法の初歩の問題ですね。なぜなに相談室でもあったんじゃなかったっけ?
他の動物だってイジメで弱者を淘汰してるじゃないか! とかあほらしい意見を述べる方々が多いのがミステリーなんですが、じゃーお前は鶏小屋の鶏君ですか? サル山のエテ吉君ですか? エテ吉懐かしいなあ。(そーじゃない。
まず、自分たちがどういう生き物なのかを把握して、普段から何に守られているかを思い出しなさい。
解答例は、
「私は殺されたくないのであなたを殺しません。だからあなたも私を殺さないでください」
「私はいじめられたくないので誰もいじめません。だから私をいじめないでください」
という暗黙の約束事があるから。
この論は、しかし、脳みそがおガキさまな人間には理解できません。
なぜならやつらは「じゃあ誰がボクを殺しても許すから、ボクはあんたを殺すよ!」という例外を作り出す鬼才だから。そういうお話じゃないんだが、このような返答には「それってなんてバトロワ?」という煽りが最もふさわしいと思う。っていうかそういう話でもないか。まず日本の法が、上記の解答例を基に作られているものなので、そういう身勝手な例外は許されないんです。
(しかし、個人的にはこう解釈してます。「殺人」という行為に必要な覚悟とは、自分が周囲の誰から殺されても文句を言わない覚悟だ。だからまず「殺す」より前に、相手にその旨を伝えておかなければならないんだろう。それをしない「殺人」は、だから不意打ち、辻斬りのような不当のもので、罪であり犯罪である。殺人に問わず、他の法律も似たようなもんだ。
いじめをしてはいけない理由。
いじめられたくないという誰かが居るから、してはいけない。良心の問題であり、法の基本でもある。
> ・イジメは犯罪。しかし児童ナントカ法で守られてるからグレー
> 「だったらどうにか処罰出来るようにするべきだ」
珍解答です。
この問題に「どうにか処罰できるようにするべきだ」という答え方をするひとは、真女神転生をプレイした場合きっとロウへ傾きまくることでしょう。圧倒的な力のもと、あがらう事も出来ない強力な「法」の鎖に縛られて、それで人間として幸せでしょうか。
日野個人の考えでは「非常に疑わしい」ものです。あくまで個人的な主観にもとづく考えですよエエ。
まず何のための「児童刑法」であるか。
児童である「子供」とは、間違いを起こすものです。間違いを「いけないことだ」だと教えられて成長するものなのです。そうした中でもし、刑法に触れるような重大な「間違い」を仕出かしてしまった際に、一般の大人たちと同様に名前や年齢、住所などを公表してしまうとなると、その後の人生に大きく支障が出てしまう恐れがある。小さい頃のあやまちひとつですべてを棒に振るようなことにならないように、児童の未来を守るために、児童刑法というものはあるのです。私はそう考えます。
そして昨今の「児童犯罪」(いじめも含む)に潜む悪とは、彼らを教育しなければならない親にある。
彼らが教育することを放棄したからこそ、彼らの子供が「児童刑法」をかさに悪事を働いているのです。
もし子供の犯罪に対して訴える時があれば、私は親を叩きますね。そして刑法は、児童刑法に引っ掛かるような犯罪に対する処罰対象を、その保護者に向けるべきです。何故今までそうしていないのかが謎なので、今度調べてみたいと思います。法律相談所とか、近くにあったかしら。
結論:バカ親は死ね。
> ・いじめは快感。
Yes。肯定します。
しかし、だからこそあがらわなければならないというのが集団社会の実情です。
快楽にたた溺れるだけで良いのであれば、なぜ「法」があるのですか?
「法」はある種の快楽を否定し、罰するものです。「法」の歴史を少し遡れば、それは「宗教」とほぼ同意のものです。宗教は実行力を伴わない、それぞれの心持ちにすべてを委ねている「ルール」です。現代では人口の増加に伴い思想の自由が蔓延してしまいましたので、「個々の良心」などという曖昧なそれだけでは到底抑えきれません。なので時代は警察という「法の実行力」を作り出しました。
「法」はかつての神の訓えであり、「警察」はかつての司教と、道教の者たちの目です。
それが忘れられ、法が「なんでだか守らなきゃならない理解不能な束縛」という曖昧な形骸と化してしまったので、すさんだ「今」があるって感じですね。前述しましたが、法とは「自分がやられてヤな事は他人がやられてもヤな事なんだから、人が嫌がることはやめましょう」って、ただ、それだけのことなんです。「法の網目をかいくぐった知能犯罪」なんてスリルと魅惑でこてこてに味付けされたような悪魔の言葉に踊らされてちゃ、まだまだです。全然かっこよくないし。
で、いじめの話に戻りますけど。
いじめが快楽を満たすというのは、ぐぐれば出てくると思いますけど科学的に立証された論です。だからといって実行していいとは限りません。そんなの、私なんかに言われなくてもわかってると思いますけど。さんざ書き散らしましたが「私はいじめられたくないのであなたをいじめたりしません。だからあなたも、私をいじめないでください」。人がヤだって言ってることはあなたにとってもヤなことに違いないので、人が嫌がっていることをしてはいけません。
一時的に男全般が嫌いになった、そして今でも一部の「男」性部分を見ると心身に拒否反応が出るのは、いじめられてた頃の経験が原因だろうと確信しているので、この恐怖症もPDなんとかと言えるかも知れません。トラウマです。
友達に対しても時偶に出てくるので油断なりません。いじめられた側は覚えているのです。心と体が。