映画見た話
・交渉人 真下正義
踊る大走査線という傑作ドラマから派生した、いわゆる二代目である。
そして「踊る大走査線」で表現されていた面白さを再現できている、大衆向けの大作であろう。
大衆の一人である私は、とても純粋な気持ちで楽しませてもらった。
最後の決着のシーン、これが肝である。犯人は捕まることなく、その正体も闇の中へ消えるのだが…。しかし、侘しさと共に共感を無理なく伝えてくる、綺麗な終わり方である。それは私が、二人の立場を理解できるからだろうか。そうでなくては、納得のゆかない決着になるかもしれない、とも思う。
このシリーズが好きな人間であれば、楽しめるだろう。
・博士の愛した数式
まずい。これはまずい。
これまで見た映画の中で、映像メディア中でもっとも、素敵だ。
交通事故によって、八十分しか記憶が持たない「博士」。そして彼を世話する「家政婦」、その息子「√」。
ルートは、頭のてっぺんが平らだから、ルート。博士が名付けてくれた名前。
荒筋はおおよそこんなもんだ。いや、表現として間違っているか、これは登場人物紹介だ。
しかし、この三人の間で流れた時間を、私が言葉短く再現するのは非常に惜しい。この素敵な話は、まさに博士の愛した数式なのだ。荒筋などを書けば、それを書く場合には感じたままの素晴らしさを伝えなければならないというルールから外れてしまう。だから内容は、まったく省略されずに伝えられる小説か映画で、見るのが良いだろう。私の感じた、そして私の愛した博士の愛した数式を素直に受け取れるだろうから。
ちなみに私は、小説をまだ読んでいない。探しているが、その度に見つけているが、金が無いから、他に欲しいものがあるからと理由をつけて見逃してきた。そしてその判断は完全に間違っていて、そしてあながち不正解でもなかったようである。なぜなら、小説を先に読んだ場合、私はきっと「原作を超える映画は無い」と決め付けて決して見ようとはしなかっただろう。そしてこの感動を人生に刻むことが無かっただろうからだ。
小説と映画と、この二つは似ているようで全く違うものである。そして、文章が先にある映画は、やはり大抵のものは駄作と化すだろう(はちみつとクローバーのように)。だが、時稀にこうした、まったく異なる視点から生みだされる感動、それを表現できる傑作が生まれることも、事実のようだ。認めざるを得ない。
この、「博士の愛した数式」は、小説で発せられた素敵な感動をまったく異なる観点で再現…いや、新たに構成された、傑作である。そう私は思う。