薔薇2
そして、今現在書いているものが続く。
またしてもバラという、逃げの一手であることはあちらにも書いたとおり。安易であることも認める。
霧雨薔薇十字 2
である。
あちらに公開している部分「だけ」、こちらにも載せなければアンフェアであろう。
書きかけである部分をこちらに載せたとしても、この場所を知る人間が虚数に近い人数だろうから、問題が起こるとも思えんのだが、いちおう気を使うのである。
ちなみに、メモとして残しておくが、今、私が書きたいと思っているのは「eaven」である。あの、ギャルゲだかという種類にありそうな、閉鎖世界でのSFである。SF=成長しない ふくらみ とは、よく言ったものだ。
晴れのち、そよ風が欲しい日。
火薬というものは炭石、硝石、木炭、イオウなどを主な原料に、その他少量の薬品と分量を考慮しつつ混ぜ合わせて作られるもので、材料からもわかるように完成するそれは固形物である。だが、今回は原料である硝石を使わず、威力を増しながらになんとか液化できないかという難儀な相談を受けた。
火薬など作ったところで役立つものか。と思う私だから、こんな話、普段なら断っているところである。だが、都合良く手元の硝化銀が底をついており、趣味の延長でやっている研究、これは仕上げに「純粋な熱による高速乾燥が必要」であるモルトース方式の胃痛薬の生成のことであるが、この高速乾燥には何らかの酸化物が必須であるため、それから先が立ち行かなくなっていた。一番の楽しみを前にして、これは私にとってはかなりの苦痛である。
例えるなら、揚げたての天ぷらを目の前に置かれて、しかし「明日まで食べちゃ駄目よ」なんて状況に似ている。承知の通り、天ぷらは揚げたてが良いに決まっている、いや、揚げたてを食べなければならないものである。一日置いた天ぷらなんて、油を吸いまくって食べられたものではない。分かりきっている。だが今回は食べられない、食べちゃ駄目だなんて、私はそれほど到底理解しきれない状況に置かれているわけだ。至高にあるものが最低へ移ろう様を眼前に置かれ、凝視させられるのは拷問である。そして私は、かぼちゃの天ぷらが大好きで、つまり、そういうことだ。
繰り返すが、火薬の原料には硝石が含まれる。これを用いずに火薬を生成するとなると相当な手間が必要だ。工程は試行錯誤であろう。試作を重ねるのに、材料もまたずいぶんと必要になるだろう。そして、そうした費用はこちらの言い値で支払われるのが通例だ。
だが時偶に、稀にではあるが、今回のような取引になることもある。
「材料はこちらで揃える」
先方のその素晴らしい台詞と、あまりのタイミングの良さに、つい魔が差したのだ。
気付けば私は、その甘言に乗ってしまっていた。
それがいけなかった。
その日の私も疲れていた。知人を介して頼まれていた仕事を片付けたばかりだった。
私は仕事をするために生きているつもりはないし、私にとって仕事は、あくまで趣味の延長にあるものである。趣味が忙しければどんなに実入りの良い仕事でも請けないし、収入よりも中身が肝心、とばかり、自分で気にいる依頼でなければ容赦なく蹴っ飛ばす。
今回のそれは、現在の趣味と程よく合致していたため、一石二鳥とほいほい喜んで引き受けたのだが…、いややはり、いくら下請けといえど話はきちんと通すべきだった、と深く反省している。
普通「何らかの品を作って欲しい」という依頼の場合、支払いは材料費、雑費、手数料を全てまとめた形で見積もられ、注文の品と引き換えに超過料金やチップを上乗せして精算される。そして今回のような「先方で材料を揃える」という条件がついた場合、その分の料金は当然引かれるのだが、その他の金額に、これまたいやに色がついていたのだ。見積もりを見た時点で疑うべきだったのだが、私ともあろうものが「まあ難しい話だしなあ」と軽く流してしまったのだった。
それでもだ。
しかしまさか、常識として、材料を「掘り出したそのままの姿」で送りつける依頼人がどこにいるというのか。
届いた現物を見て嘆いても、あとの祭りである。
それからの日々はまさに暗黒だった。地下という閉鎖空間、休む間のない練成作業。息の詰まる密室で、竈から発せられる高温は容赦なく肌を焼き、失敗の許されない幾つもの並行作業は、吹き出る汗を拭う暇も与えてくれない。か弱い美少女にとって、これほど過酷でこれ以上に残酷な話があるだろうか否無い。
いつぞやの香水作りと並ぶ、これは伝説になるだろう。あれも酷かったが、また別の話である。
引渡しの際に、とりあえずバカ香林はブン殴っておいたが、これからは気をつけようと思う。
そんなわけで仕事のほうも、趣味と併せてちょうど一段落したところだった。
ところで、いくら趣味とはいえ、薬作りは気の向くまま、ただやりたいままに実験を繰り返せば良いわけではない。その後の作業も重要なのだ。
例えば切らした材料をそろえ、道具の点検をしてみて、実験の過程で走り書いたレポートの整理もしなければならない。作業のあとには、ゆっくり霊夢とお茶もしたいし、本も読みたいし遊びたいし服も作りたい。そうなると新しい生地を調達しなければならなくなるだろう。買い物に行けば、そのついでに茶葉やお菓子や、ガラクタ集めにもせいが出るはず。つまりは軍資金が必要になるのだ。そこで、今まで書き溜めてきたまとまった資料を本にすれば幾許かにはなる、そのために過去のレポートノートを引っ張り出してはひたすら書きなぐる、という仕事も出てくる。
このような用にしばらくの時間を要するので、次までには結構な間が空くことになるのである。
そうなると暇、ということもないが、忙しい時期と比較すれば、かなり余裕のある生活になる。
考えてみると、そんなときでないと相手をしてやれない。今日までほったらかしにしておいた、毎日が退屈で満ちているはずの居候の姿を求めて、私はガラクタ部屋に足を運んでいた。
「おうい、チルノー。いるかー」
声を掛けるが、返事はない。
開きっぱなしの埃臭い部屋に、ヒトの居る気配はなかった。
見上げて、薄暗い天井の中央あたりに意識を集中すると、ふっと暖色の灯火が室内を照らし出す。
一人部屋の私の、魔理沙の寝室とほぼ同じほどの一室には、壁際に本棚が二つ、収納率の高い引き戸の箪笥が一つ、置かれている。それだけなら殺風景で、実に私好みであるといえるレイアウトなのだが、しかしまあ、ここはガラクタ部屋だった。本棚は既に入りきれない書物やノートが何十にも重ねられて押し込んであり、その傍には収納されるを諦めた本たちが、何かの屍のようにうずたかく重ねられて、無言の塔を築いている。箪笥は開きっぱなしのまま中身を溢れさせているし、床には足の踏み場も許さないほどの大小種類もさまざまなものが散乱している。明かりの元で改めて眺め見ると、腐臭すら立ち込めそうな、部屋もはちきれんばかりのモノの量である、感嘆の念を覚えずにはいられない。よくもここまで集めたものだ。
というよりも、よくぞここで生活する気になったなチルノ。と感心半分呆れ半分。
記憶の隅からも消し去りかけていた許容限界の汚らしさを目前にして、暗澹たる心境である。
「あー…」
押し寄せるようなガラクタと部屋の圧迫感は、地下の暑苦しさを連想させる。
むしろ乾燥して薄ら寒い部屋なのに、あの奈落の底のような熱気を思い出して、思わず首元を引っ張ってぱたぱたとしてしまう。トラウマトラウマ。
「…そして空気が悪い」
思うが早いか、避ける気もなくして散らかったままのガラクタたちを掻き分けつつ蹴り飛ばし、物置代わりの部屋の、一つしかない窓をがたがたと押し開く。
視界一杯に広がるのは、この霧雨亭を呑む勢いで成長を遂げた樫の木の枝葉モザイク。
「…あー。風の通りも悪いんだっけ」
こいつの所為で日当たりも最悪だ。ふうっと息を吐く。
部屋の汚さ、通気の悪さ。既に承知済みの事柄ばかりだが、今は気が滅入るばかりだ。
構うはずだったチルノもいないし。
「あーあっ!」
手近にあった揺り椅子に向かって、投げやりに、どさっと身を投げ出す。
身を沈めて、そのまま、霊夢のところへ行こうか…、それとも自分で茶でも煎れようか…、と考えるまでもゆかない思想に浸り。深く深く、無限に湧き出ずる、止めどない暇への飽いたに見も心もゆだねながら、結局。
ぼけっとする。
「あー…」
おなかが空いた、そういえば棚の中には食べかけのクッキーがあったはずだ。
ミルクティーでも入れて、それを食べようか。いやもうチルノが食べてしまっているかもしれない。
なんせ何日も放っておいたのだ、腹を空かせて泣いているかも。
そうだ、何日も放っておいた。何日だ? どれだけかも思い出せないほど話をしていない。
たった一日かもしれないし、もう花月が一周してしまったかもしれない。一日だって、たったの一日じゃなかったかも。
あいつにとって、とっても大切な一日だったかもしれない。
「…霊夢にも、会ってないなあ…」
もう随分と会ってない気がする。
あんなにあったかい霊夢に何日も会ってないなんて、私はよくも凍死せずにすんだものだ。
いいや、逆かもしれないな、霊夢に会えなかったから私は火を焚いたんだ。狭い、地下室で火を焚いたんだ。轟々と、ごうごうと焼け付くほどの火を焚いて。たぶんそうだ。
そして、だから今はこうまでも寒いんだ。
間取りの悪さが致命傷のこのガラクタ部屋にも、チルノが住んでいる影響ではないだろうが、冷風が、ゆったりと流れ込んできている。火照っていた体ががゆるゆると凍えていく。よどんだ空気も、こうしているうちにすっかり入れ替わるのだろうか。
この部屋に風は吹かないと思っていたのに、いつの間にこんなに涼しくなってしまったのだろう。
この部屋に風は吹かないと思っていたのに。ガラクタ部屋だったはずなのに。
だからガラクタ部屋だったのに。だからガラクタだったのに。
「さみしいねえ、私も…」
ふわりと風が吹く。
頬にかかった髪をそよりと撫でられ、そこから不意に悲しみが涌く。
霞んだ日光がまぶたの上をちらちらと揺らめき、そういえば遠くで聞こえる、あの声は空蝉だろうか。もうそんな季節が来たのか。それとも早起きが時期を間違えているだけか。
「チルノー。かえってこーい」
かすれ声で呟き、目を閉じる。いや、もう閉じていたのかもしれない。
眠るつもりではなかったが、一挙に気力を使い果たした私は、こんな場所で不覚にも熟睡してしまった。疲れは溜め込むものではない。
一人きりの私に訪れたのは、不意の冷気である。
寒さで目を覚ますという体験も、慣れてしまうと音の鳴らない目覚まし時計よりはマシだった。
本当の終わりに辿り着いたかと錯覚するほどに真っ暗な部屋で、私は、きっと予想していたのだろう。
しんと静まった室内。凍えきった服の感触。
まっくらで、自分以外に何もない世界。
期待していた光景だった。
だからなんとも思わなかった。部屋の中には思考すらなかった。
無言を保ち、ことさらゆっくりと、体をもたげる。
「…お?」
驚いた。真新しい毛布が掛かっている。それを、自分の服と勘違いしていたのだ。
暖かい毛布は、残念ながら開きっぱなしの窓の所為でかなり冷え切っていたが、それでもあたたかい。
一体誰がこんなことを、考えるまでも無いと気付いてこぼれる笑み。
帰ってきてたか。ふう、と気を緩めた瞬間。
「あ! 魔理沙が起きたー!」
耳元で大音量が破裂した。
右の鼓膜がびりびりと聞き取れない悲鳴を上げる。
「ぐおっ…」
「せーのっ、おぅはよーお!」
すかさず放たれる二撃目はさらに強烈で、がくんと意識すら遠のかせ、さらにはその先に、世界を誕生させた。
瞬間にして全ては白く染まり、また黒く塗りつぶされて本来の闇の色を取り戻し、しかし一度生まれた光は長く影をも作り出した…。そんな七日間の始まりの日を刹那で体感させられる威力、声のみに留まらぬ凄まじいエネルギーと波動、それらに見合うだけの破壊力が、寝起きの脳みそへほぼ直接叩き込まれたのだ。捉えどころの無い痛みが、耳と脳の狭間で反響を繰り返す。
鼓膜の発した悲鳴の残響、というか強烈な耳鳴りの余韻に、私はたまらず悶絶する。
「う…るさいチルノーッ…!」
反撃するも呻きにしかならず、バカ娘は身悶えする私を見て、けらけらと笑い出す始末だ。
「おーきた、起きたっ。魔理沙が起きたっ」
「このっ、ヒトがせっかくだなあ!」
目の端に滲む涙を自覚して、思わず拳を振り上げる。
気付き、咄嗟に腰を引いて縮こまるチルノだが、私が捕まえるのが速かった。がっ、と両手で飛びついてそのまま絡まりあいながら床に崩れると、掴んだ頭を力任せにめちゃくちゃにかき混ぜまくる。
暴れようが何しようが、完璧に馬乗りになった私からは逃れられない。
「ぎにゃー、はなせー!」
「はは、まいったか!」
無駄な抵抗を続けるチルノに、どうだ、勝利宣言してやる。
ずいっと見下ろしてみれば、敵はさんざん暴れたおかげで既に息荒く、絵の具で塗りたくったように頬を紅潮させている。目が合うと、悔しそうにぱちぱちと氷を飛び散らせた。
もちろんその間も手は休めず、ぐりぐりと髪を弄っている。
「まいったと言え! 言わなきゃ放してやらんぞ!」
「まいらない! まいらないけど放せー!」
「ほほー、強情な」
ふふんと不敵に笑み、頭から手を離すとわざと目の前で、おもむろに指を動かしてみせる。わきわき。
そして、耳元でささやく。
「チルノちゃんは、わきの下が弱点だっけかなー?」
「まいたったごめん! それはやだ! ごめんなさい!」
即答である。よほど苦手とみた。
「まいたった、ってなんだよ」
笑いながら立ち、武士の情けとして手を引いてやる。
自由になるや、ふるふると髪を揺さぶって立ち眩みのようにその場で回るチルノ。まあ事実、あんだけ掻き混ぜれば目も回るだろう。息も切れてるし。
「おおう、くらくらするぜー」
「はは、は! なんか、こうしてチルノと遊ぶのも久しぶりって気がするぜ」
「そーだよー。だから、ずっと魔理沙が起きるの待ってたんじゃん」
なんとなく口を衝いて出た言葉に、チルノは口を尖らせて応えた。
そうか。
「いつまでたっても帰ってこないと思ったら、こんどはあたしのベッドで寝てるんだもん」
「悪いわるい。そんじゃ、明日はどっか遊びに行くか?」
「ホンとに!?」
それこそ軽く、何の気もなしに出た言葉だったが、チルノの反応は素早い。全身で詰め寄って、絶対聞いたこの耳で聞いた、質言取ったりとばかり、輝いた目で私の顔を覗き込んでくる。
「ホントだよね、今の嘘とかなしだよ!?」
まるで恋人からのプロポーズを聞いた、いや、胸倉掴んでるあたり喧嘩したくて疼いているどっかの若い兄ちゃんか。どっちも知らんけど。…どのみち、冗談にして取り消せば血を見る修羅場になりそうな、そんな上質の期待感を、今のチルノは放っている。
私には、その場で取りえる行動はという意味で、たった一つしか許されてはいなかった。
凍りついた笑顔で、こくこくと頷く。
「あー…、ああ。やっと仕事も終わったからさ」
「うぇーい! 行くいく! どこ行くの!?」
「えー…ぴ、ピクニックとか?」
「ぃやったあ! ピクニック! いつまで!? どこまで!?」
「う、うーん…」
「あたしあっちのほう行ったことない! お山のほう行こう! お山のぼろう! のぼって、天井でごはん食べたい!」
「そー、そーしようか?」
「するする! やっほーう!」
ようやく離れ、いや私を突き飛ばす勢いで飛び離れてチルノは、一目散に部屋を出て行く。「おべんとー!」と、ドップラーの尾を引いて階段を転げ落ちていく音が聞こえて、ようやく、私は我に返った。
ああ、うん。
「あんだけ喜んでくれるなら、なあ…」
山の一つや二つ、制覇するのも悪くはないかも。
どたばた走り回り、壁に目一杯ぶつかったらしい打撃音や、調理場をまた小規模破壊しているらしい音が聞こえているが、あそこまで寂しがらせた自分も悪い、悪い気がする。その上、なんか歌っているらしい、メロディじみたものも聞こえ始めて、ああ、ピクニックというそれだけではしゃいでしまうなんて、なんて可愛いんだろう、と思い込む。目を瞑って思い込もうとする。自己暗示もたまには必要だ。
そこまでして、偶然聞いてしまった、なにやら小さな破裂音を聞いて、「あーあれはきっと私のお気に入りのソーサーが割れた音だな」などと苦渋の中で諦めて、やっと冷静を取り戻し、ふと考える。
「でも、歩いていくつもりか…?」
山と呼べる場所、幻想郷の北の果てまでは、直線距離で徒歩三日ほどである。
歩いて三日、あくまで最短距離で。
想像して腰が砕けた私は、思わず両手を組んだ。そして神に問いかける。
私のナニがいけなかったのだろうか。思いもよらず熱心に仕事をしたことか、ちょっと掃除をサボっていたことか。依頼料をボッたことか約束をすっぽかしたことかそれとも。
やっぱりチルノを放っておいたことか。
「たすけて霊夢…」
止まらないロマンティック娘に、脳裏で呼びかける。
さらなる被害の音色を聞きつけた耳を塞いで、私は、一人、覚悟を決めた。
サバイバル装備でも用意しとこう。