« 薔薇2 | メイン | マンホールの蓋はなぜ丸いか »

薔薇1

・公開して随分経つが、こちらにも載せておこうかと思い立ったので、新たにカテゴリを作ってみた。

 霧雨薔薇十字 1

 である。
 末尾にある数字は、シリーズであることを揶揄するものではないことを追記しておく。この程度のものをシリーズとして書き続けるつもりは毛頭ない。(が、こうしたものこそダラダラと続けてしまう私という人間である。
 今回も、例によって、原作を知らなければ楽しめるという謎仕様。

  晴れた日。

 今日からまたしても日記に挑戦してみる。
 理由なんて特に無い。気が向いたわけでもないし。強いて、何かしらを理由としてあげておかなければならないとすれば、代わり映えの無い日常とやらが帰ってきたから、だろうか。そもそも普遍的日常というやつに出会ったことが無いので、それも相応しいとは言い難いかもしれない。
 ところで、日記をつける、つけ始めるという行為に特筆すべき理由、心情の変化などは必要なのだろうか、要らないんじゃないかと思うんだが、真実そこんとこどうなんだろう。いや、ほんとは必要だったりするんじゃなかろーかとも、思わんでもない。書きたいことがあるから書く、とか、事あるごとに自分を振り返りつつそこに記された過去から学んだり、というのが正しいんだろうけど、この場で言い切るが私はそういう性分じゃない。本来、古くから伝わるような日記は先に挙げたとおりそういうもんだろうけれども、私はしない。
 それじゃあどうして、わざわざ貴重な新しい白紙本を持ち出してまで日記を書いているのか、というと、それが私にも釈然としないんだが、まあそれが私らしいとも言えるかもしれない。理由なんて、全てがてきとー。動かざること山の如し、がモットーである私には不要なのである。
 霧雨魔理沙の行動に理由など無い。
 うむ。今日の名言としよう。

 さて、記念すべき一日目である。何を書こうかしらん。
 そういえば、またチルノがキッチンを爆破していたからそのことを書こう。


 常として、明け方に床に就き、昼前に起きる。それが私のライフスタイルである。
 霧雨邸は囁きの森に座しており周囲を木々に囲われている。それでいて家の目の前の木が枝をのびのびと広げてくれているため、丁度良い具合に窓を覆われている二階の自室には、日が高くなる頃まで光が差さない。これのおかげで朝のうちだけは一階のほうが明るいくらいである。それでも慣れたもので、光が無くとも南中より早い頃合にはなんとなく目を覚ます。
 そして先ず聞こえてくるのはフラスコの音。就寝前にアルコールと香草を一緒くたにして火を当てておいたものだ。コトコトとやわらかく煮詰まるこの心地良い音が、私にとっての一日の始まりの合図である。
 中身がすっかり蒸留し終えているのを確認して火を吹き消すと、ポットに飲みかけていた紅茶を、カップに移す間もなくぐいっと飲み干す。それから気が向けば階下で朝食を取ることもあるし、またこれも気が向けばであるが、知り合いの所に押しかけて、その相手にとっては昼食である食事を共にすることもある。だが大概は、この起き抜けの一杯に多少何かを摘まむ程度である。
 私からすれば、食事とはすなわち面倒である。
 弁解のようだが、食事それだけが面倒なのではない。私の生活において、限定すれば「その時分に興味のあること」および「不便を感じた事」以外は、おおよそぞんざいである。
 例えば自室の掃除など、これは、よほどのことがなければしない。なぜなら限りなく不要だからである。一階のガラクタ部屋は不要なものを投げ込む場所であるし、書庫代わりにしている隣部屋は酷いものだが、どこに何があるか把握しているので、整理する以上の面倒は起こらない。これ以外も料理や洗濯といった家事全般、その他もおよそ、少しでも気乗りしないものは全て切り捨てるか後回しにしてきた。
 といいつつ、最近は、多少は改善されたほうである。食事もきちんと作るようになったし、身の回りも常に小奇麗になった。それよりなにより、こうした、時計の針に準じる一定の行動をルーチンとした節度ある生活、というのを送るようになったのは、私自身、一番の驚きである。
 これは近頃になって増えたもう一人の住居者、いわゆる「居候」という存在の影響が濃い。
 なにしろこの居候は人間ではない、妖精である。しかも許容限界のおまけまでついた代物だ。
 本来の私の性分を考えるなら、こんな手に負えるかどうか判らない、いや手に負えないと解かっている類のものには全く手を貸さなかったはずだ。しかし私も、長年ここで暮らして無駄に世話焼きになったというか、生まれたばかりのものを放り捨てられぬだけの人並みの温情は持っていたというべきか…。
 存在規格からその意義、性質まで全く異なる生き物と生活を共にするなど、当初は無謀もいい所だと頭を抱えたもので、事実現在も相当な苦労を強いられるが、いや予想外に、途中で投げ出すことなく今日の日までなんとか共棲している。
 氷結の属、性質は奔放、名をチルノという妖精は、感心なことに近頃はガラクタ部屋を根城として活動している。そして事あるごと、この私を振り回してはそのたびに小さな事件を起こさずにはいられないのである。
 ということで、したがって、この日、日常にはない霧雨魔理沙の一日は、最高に景気のよい爆発音で始まったのだった。

 喩えるならそれは、あらゆるものを破壊する悪魔の咆哮、もしくは天上の嘆きの光だった。
 激震、それも建物がひっくり返るほどの凄まじいものが、ここ、霧雨邸を直撃したのである。
 原因は二つとない。チルノである。どうやら待ちきれなかったようだ。
「…やれやれ」
 毛布をはだけ、かすむブロンドを掻き揚げて息を漏らす。
 階下からは「うわーん!」という鳴き声と共に、がらがらと金物が崩れ落ちる音が響いている。
 非日常ではあるが、慣れてしまえばいや、日常であった。
「しかしま、にぎやかになったもんだ」
 様子が気に掛かるが、泣き叫ぶ元気があれば大丈夫だろう、と高を括る。
 充分に明るくなった室内を煌々と照らすランプは、私の一瞥を受けると途端に力を失い、単なるアンティークへと姿を戻した。心持ち薄暗さを取り戻した室内をきょろきょろと見渡すと、ベッドの真横に脱ぎ捨ててあったプリーツの黒スカートを引っ掴み、クロークから春色のカーディガンを探して羽織る。
 着の身着のまま、というずぼら極まる格好で、しかしこれ以上破壊が拡大しないうちに、と私は急いで部屋を出た。
「わーん、まりさー! いたいよー!」
 階段を下りてすぐ目に入ったのは、キッチンのど真ん中で鳴き声を張り上げてうずくまるチルノの姿だった。見れば小麦粉だろうかを頭から被り、真っ赤に腫れた右腕を抱えている。それ以外の周囲は、オーブンは蓋が開きっぱなし、椅子はひとつ足が折れて転がり、それ以外のあらゆるところに鉄製のケーキの型らしきものが散らばって。まったく、片付けたばかりだというのに一部屋丸ごと目を覆いたくなるほど散々な状況である。
 その腕の具合が単なる火傷であると一目で見抜くと、一瞬のうちに湧き上がる、安心、苛立ち、多色多種さまざまな心中を気付かれないほどの小さなため息にまとめ、背後にこぼして終わりにする。
 私は心ばかりきつい表情を作って吐き捨てた。
「ったく。自業自得ってんだ、そーいうのを」
 気付いたチルノが涙目でこちらを振り返る。
「何をするにしても、私が起きるまで待ってろ。って、いつも言ってるはずだぜ? どうして独りでしようとしたんだよ」
「…だって、だーってえ…」
 言いながら聴きながら、戸棚の中から薬箱と、商売用のカエル印の軟膏を取り出して蓋をあける。
「だって魔理沙が遅いんだもんぶー」
「ぶーってなんだよ。ほれ、腕出しな」
 痛々しく腫れた腕に触れると、飛び上がってチルノは叫ぶ。やはり火傷である。
 私は瓶詰めのがま油を、大袈裟と思えるほどたっぷりと手に取り、重ねるように何度も塗りつけていく。
「痛っ。…それにさ、本に書いてあるの見てたら、なんかひとりでもできそうだったし。そしたら、あたしだけで作って、魔理沙おどろかそーって思って…」
 ちらりと目をやれば、部屋の片隅で潰れている本は、パンのレシピである。
 そういえば昨日、就寝間際になにやら持ち出してきて騒いでいたか。だが、そう、私の眠りの際といえば、なにしろ不倶戴天たる睡魔との壮絶な戦いの最中であるため、おぼろげにしか覚えていない。
 今思えば、あれはケーキ型を振り回していたのである。
「へえ、私を驚かそうってか。でも、まあそういう考え方は大事だけどさ、チルノ。だけど、それでこんな風に怪我してたら、何の意味も無いじゃないか」
 白い油軟膏をすり込むように執拗に腕に塗り続ける。私の手をじっと見つめて、チルノは黙って聞いている。
「あのオーブンは火力の調整が難しいんだ。適当に強くしとけばいいや、ってな代物じゃないんだ…。いいか、もう身に沁みて解かってると思うが、もういっぺんだけ聞いとけ。この家にあるものはみんな危ないもの、下手に扱ったら大怪我するようなものばっかりなんだよ。だから、勝手にアレコレ触るのは、とっても危ないことなんだ。チルノは、一人でパンを焼いて、私を驚かそうとしてくれたんだろうけど、だけどもしチルノが、その事でこの薬でも治らないような怪我しちまったら、私はまた別の意味でびっくりする羽目になっちまう。だろ?」
「…うん。ごめん」
「ほら、ソッチも出しな」
 表のほとんどが赤く爛れかけていた右腕に比べて、左手は無傷と言って差し支えないほどだった。転げまわっているうちにだろうか、擦り傷をこさえている箇所にぺたぺたと霧雨のがま油を塗りたくると、右腕と同じく、さらさらと器用に包帯を巻いていく。
「でも、そっか。私を驚かそうとしたのか」
「うん。…だって、そしたら、あたしだってごはん作れるようになるし?」
「そっか。…ありがとな」
「へへ。もういたくないかも」
 包帯でぐるぐる巻きの手を握りにぎり、感触を確かめてにっこり。
 この泣き虫カラスはすぐ笑うのだ。
「さ、おかげで私もばっちし目が覚めたことだし、パンの焼き方を教えてしんぜようじゃないか」
 その前に、まずは片づけからだろう。見渡す限りが小麦粉の白である。
「箒とちりとり取ってきてくれ」
「あいあいさー!」
 たぶん有るだけ持ち込んだのであろうケーキ型を、必要分残してガラクタ部屋に押し込んでしまう。散らかった床、机の上をさっと拭き上げると、見違えるように、とまではいかずとも、日頃の散らかりようを含めて、マシといえる程度には片付いたように見えた。
 思えば、この家が適度に片付いているのは、認め難いがこうしたチルノの行動のおかげである。
「ま、どーせこれからまた汚れるんだし」
 無事な椅子を一つ引っ張ると、適度なところで納得して、どっかり座り込む。
 それを見てか、いそいそとチルノがレシピ本を机に広げ始めた。作りたいのはこれだ、これだと期待に満ちた眼差しが訴える。…スコーンパンである。
 スコーンというのはパンとは言い難いが他の何物とも言い難く、つまるところは単純明快な焼き菓子である。
 その作り方も極めて簡単で、無難といえば無難。しかし他に、この本の中には、彼女の底無しの好奇心を満たすだろう派手な代物はいくつもあるのだが。いいのだろうかコレで。
 チルノの選択基準に疑問を持ちながら、いつものようにレシピを音読させつつ、そこにひとつひとつ説明を加えながら教えていく。
「準備するのはここに書いてあるだけ。秤で量を測ったら、これ以外は全部混ぜる」
「ぜんぶ!?」
「全部。で、ある程度の固さになるまでこねるわけだ」
 へえーと感心するチルノ。
 それぞれ適当に分量を計り、小麦粉から、砂糖、塩、バター、など秤からボウルへと次々に材料を投げ入れていく。
 最後に牛乳を流し込んで、しゃもじでかき混ぜ始めたあたりから妖精の目の色が変わった。
「あ! こねこねしたい!」
「…いいけど、その手でやるのか?」
「ぐ…あ、う」
 がっくりと肩を落とすチルノを見て、思わず私は吹き出した。
「まあ、この次は手伝ってくれよな」
「うん!」
「…んで、この。こっちの黒いやつな」
 しゃもじの先を追って動くチルノの目。唯一混ぜなかった材料だ。
「先に教えとくけどな、それがこのレシピのみそだぜ。こいつを使うかどうかで味に過大な差が出る」
「へえ…、なにこれ。ごま? こーひ豆?」
「惜しい。胡麻はこんな形してないし、そもそもパンに使うときには挽かない。コーヒーは、似てなくも無いが、あれ独特の香りがこいつにはない。な?」
「あー、ほんとだ」
 答えはキャヴァ、である。
「ココアに似た飲み物でカヴァリュ、ってのがあるんだが、そのカヴァリュに溶かすのがこのキャヴァっていう木の実の粉末なんだ。こいつはこのままだと硬くてマズくて、とても食えたもんじゃない。だけど、ある程度熱を加えたり、こんな感じのパンなんかに混ぜて焼いてみると、ポップコーンみたいに火花を散らして細かく砕けちまうんだな。そしてとっても甘ーくなるんだ」
「甘いの!?」
 そうと聞けば、と止める間もなく口に放り込む。その途端。
「…ニガ。おいしくない」
 悲壮な顔でキャヴァを吐き出す馬鹿娘。
「話を聞けよ、話を…」
 食い意地は一人前。あまりの苦味に耐え切れず勝手に牛乳を飲み始めるチルノを横目に、スコーン生地は着実に独特の粘りを生み出し始めている。これはあまり練りすぎるのも良くないのである。そのうちにボウルから出し、平たく軽く伸ばしてオーブンの近くに移動した。ここで、しばらく置いて発酵させる。
 あとは時間を待って、表面にキャヴァを蒔いて、型抜きして焼けば完成だ。
「なんか、私一人で作ったほうが楽なんじゃないか…?」
 迂闊にもこれまでの苦労を振り返ってしまい、両肩にどっと疲れを感じた。
 そもそも、話を半分ちょっとしか聞かないようなやつ相手に講釈打つのは、本来、時間の無駄である。普段の霧雨魔理沙ならそう考える。
「教えるだけムダってのも…」
「ねえねえ、焼けたらさ! みんなのところに持ってってもいいかな!」
「おあ? ああ、いいんじゃないか…」
「あー、早く焼けないかなー。わくわくしてきた」
 身震いまでして、まだまだ発酵を始めたばかりの生地を見つめる。
 なんというか、この小娘に確実に振り回されているという事実が、私をさらに疲れさせるのである。
「…手が治ったら一人で作ってくれよ…」
 しかし、そう言って、チルノ一人に料理させたことは一度も無い。
「料理って楽しいね!」
「ん? そうだな…」
 不意に言われ、つい納得する。
 疲労はともかく。言われてみれば、料理する時間を珍しく有意義だと思えた。
 楽しかった、かもしれない。
「今度はなに作ろっかなー。ね、まりさ!」
「…次は一人で作ってくれよ」
 それは心のそこから思うことだった。

 キラキラと凍てつく翼を羽ばたかせて、そのあとチルノは、無事に焼きあがったスコーンを皆に分けてあげるんだとか言って飛び出していった。
 ついこの間まで、部屋をかき回すことにしか興味を持たなかった妖精が、ある一つに執着を見せ、あまつさえ自分で料理をする、それを他人に、など、もうそんなことまで考えはじめているとは。想像を超える成長である。
 妖精全てがそうだろうか。それとも、彼女だけだろうか。
 チルノを筆頭に妖精、妖魔、幻鬼、魔獣、異形。そしてアストラル。これらは人知を超える未知の存在だ。こんなところでもない限り出会うことすら稀なのだから、観測が行われた例すら少なく、憶測、推論入り混じる学分野である。私でさえ手探りの状況が続いている。そして一例に妖精の寿命は短いとされ、彼女のように再度の生を始めることもありうるとは言われているものの、それについての詳細な論は残されていない。一度は終えたものゆえ先は短いのかも知れず、しかしそこに、妖精という既成の概念を越えた新たな可能性が芽生えないとも限らない。
 これは魔法使いとしての霧雨魔理沙の希望か、それとも私個人の純粋な願いかは分からないが、ともあれ、彼女の元気な姿をみるふとした時に、チルノという娘に「妖精」という既成の殻を食い破る、強い可能性を望んでいることは確かである。
 と、それらしくまとまったところで、今日は筆を置くことにする。

コメントを投稿