小説というもの
・私は、小説というものは、文字で書かれた絵画であると思っています。絵画とは、つまり「絵」です。
カラーでも水彩画でも、何でもそうですが、絵とは全体で「ひとつのテーマ」を描き上げるものです。
そこが、本質。
そしてその流れを汲むものとして、類似して「小説」と呼ばれるものがある、と思っています。
小説とは「ひとつのテーマ」、あるいは「たった一言」のために大量の装飾を施された文字群だ…。小説と呼ばれる類の本を読んでそれを言葉にできない印象から、確信に変えてきました。
だから私は、その考えに忠実に、今まで文章を書いてきたつもりです。
例えば今まで公開した文章のうち、原文が残っているもので説明をすると…
・クリスマス企画投稿 (幸田あみさんのところに送ったもの…だったか)
「月は生命の還る場所」
・雨のち晴れ (土佐以下略の頃、初めて公開した代物。タイムスタンプでは二番目に書いたもの)
「いつかまた いっしょに見ようね。
あの日見た 白い光を
暖かな風に包まれた あの上天の光を」
・回帰(だったかな)
「よく、俺がわかったな」
かすれる声で、呟く。情けない。
「秀ちゃんだもん」
・紅魔(一番最近)
「ハクレイへの復讐はもういいの?」
霊夢の最後にして最大の皮肉に、スカーレットは苦い内心を噛み締めて答えた。
「パチュリーに聞いた。…血の繋がりは無いのだろう?」
それぞれから引用してみました。
本文が短い他は説明する必要ないと思うけれど、紅魔だけは長すぎるし、気が向いたので「装飾」の部分をまじえて説明を。
まず、この部分で必要になる人物は二名。名前も出ているように「霊夢」と「スカーレット」です。「スカーレット」は話中で、ハクレイの名前に異常なまでに執着をみせ、それゆえにハクレイ「霊夢」の命を狙っていました。そして戦いののち、今までのすべてをひっくり返すように、二人は和やかに談笑し、その会話の締めとして、この部分が出てくるわけです。
引用した三行、これだけでは意味がなく、訳の分からない普通の会話になってしまいます。けれど今回短くまとめたような「装飾」が成されて、二人の関係がしっかりと認識されている場合、本質としての意味を持つ会話になります。
少なくとも、それを意識して書いていたつもりですが、紅魔は装飾を「装飾」としてゴタゴタと書きすぎ、重要な「霊夢」という人物がそれに埋もれてしまっている。これでは本末転倒です。書いているときの私は「完成」こそを目標にがむしゃらにやっていたので、いわば目的を見失って手段を求めているという笑える状態でした。
それを踏まえ、改めてこうして明文化することで、忘れないように心に釘を刺しておきます。
次回の主題は、日野の gooID にも設定している「Two Eyes」。二つの目、です。
これを書きたいがために「魂魄譚書こう!」と思い立ったので、正直言って「装飾」の部分が空っぽだったりしました。というか、其処に行き着くためのプロセスを組み立てるのが大変なんだ。と気付き、同じようなことに苦労しながらもそれでメシを食っているライターのひとたちを、すンごく尊敬してしまいました。
今ですか。
今はプロセスが見えたので、ストーリーエディタでまとめるという段階です。
「装飾」はあくまで装飾で、コンソメスープの具材のように控えめでなくてはならない。
主役を食ったらいかんよ。