ペット業界の業の深さよ
・いつの間にか200エントリ達成。ログ抹消の時期がきましたか。
・実に語り難い話題。
周囲の目が、という意味ではなく、結論が出ない(数学的に解答を出せない)ため。
こればっかりは、と私自身諦めてる部分が多い。諦めこそが問題なのだが。
さあ、何が問題だろうか。
・生命を扱う(売り物にする)ことに関して
・生命の価値は?
・他の生命をもてあそぶことに他ならない?
・商売上、売り物にならない生体をどう扱うか(それはまだ生命であろうか)?
・モラルに関して
・流通上で発生する死に、どういうスタンスで向き合うべきか?
・購入者を選別すべきか?
・
書いてて気分悪くなってきた。
すでに自己矛盾でゲシュタルト崩壊しそうです。
・私自身について
・なぜ辞めないか?
これには応えてみる。
動物に関わって生きる、てのが私の夢、だった。
業界を知って、裏側を垣間見たからと簡単に糸を切るようにはいかない。
しかしいっそのこと、園芸のほうに逃げてしまえ、と思うこともある。
罪悪感が軽いから。
植物とその他の生命を比べて、罪悪感が軽いと感じる。ランクを下においている、ってことだろうか。
以前、ハイドロカルチャーを試みたことがある。水栽培に近しい園芸。
けれどこれも、幾つかの要素から「植物本来の姿ではないのではないか」、という疑念を振り払えず挫折した。
では魚は?犬や猫はどうだろうか?
以上の経験から、私が行き着いた先は
「水槽とハイドロカルチャーの融合」だった。馬鹿らしいと私自身思う。
特にこうして、ペット関係の仕事に、バイトの身分ながらありつけた今だからこそだ。飼育を楽しむ一方で、誰に対してか判らぬ悔いを、常に感じるようになった。水槽とハイドロカルチャーの融合だって、魚にも植物にも精一杯譲歩したつもり、になっているだけではないか。そう強く思ってしまう。
心に重いものを抱えながら、私は部屋に水槽を置いた。
私がまず水槽に入れたのは、入荷したはいいが売り手が見えずにいた魚「ベタ・ベリカ」と、家の小さな花瓶に根を限界まで渦巻かせ、腐るようにしおれ、枯れていた草だった。
用意できた小さな水槽で、小さな芋科の植物は枯れた葉を落とし、新根を伸ばし、少しずつ新しい芽を出しはじめている。その根を枕とし、ベリカの雄は悠々、ひっくり返って寝ている。元はペアだったベタ・ベリカだが、私の過信によって片身となった。今はこの雄のみが生きている。私が近寄れば、暗闇だろうと気配を感じて起き出してきて、餌をくれと、ねだって踊る。元気なヤツだ。
疑念は晴れないが、最善を考えて行動した結果だ。
答は出ないが、私自身に対する後悔はない。
先立たぬ悔い悲しきは、流るる水のかへりこぬなり。
何が正しいか見えない仕事だけれど、だからこそ踏みとどまろうと思える。
そうなのかもしれない。