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色恋事3

・この時間帯に更新するのは、エントリーの完全構築に不安があるが、仕方が無い。
 三回目である。

 今回は、特筆すべき進展が無いわけではないが、それを説明できるほど言葉を知らず心についても知ることが少ないので、短く事象のみを説明するに留めておく。その上で、今日、気付いた事柄について、私なりの感知と言葉で説明と表現を心掛けたい。

 まずは状況である。
 先日のことから話をしなければならない。
 八月三日、この日は彼女の誕生日であった。節目である。
 最も個人的な節目に贈り物をする、という風習が一体どこから来たものか知らず、そのことに興味もあるがまだ調べていない。きっと欧州だろう、キリストの誕生祭を真似てそうしたことをしだしたのだ。それをローマは許しているのか、定かではない。そも推論である。
 疑問の残る風習をフォーマットとしてその通りに行動を起こすのは私の理念ではないが、しかし誕生日に贈り物をされて喜ばぬ日本人はいないだろう。友人の勧めもあって、私は、彼女に贈り物を用意しようと考えた。
 さて、ここで問題となるのは、これまた非常に俗ではあるが、何を贈るか、である。これまで三人の友人に贈ったものは、彼らの趣味を考慮した上で、CDと、万華鏡と、煙草三箱だった。それらにしろ、悩みに悩んだ代物であった。それに加えて今回は、趣味もわからぬ紫の上である。これは人生に何度出会えるか不定であるほどの難問といえる。実質、明快な回答というものも存在せぬだろう。心というものと同じである。私は答の出ぬものに答えを出さねばならないという試練を受けたのだ。
 解答は無くとも明答はあろう。そう定義して三日ほど悩んだ末に、おもちゃのような流行もののリングを選んだ。いつだかのオームの抵抗ではない。運気をつなぎとめるという小指の止め具、キャッチコピーは、そう、「ピンキーリング」だったと思う、そうしたものだ。
 さてそうして、誕生日からは五日も過ぎた日、購入してからもさらに二日が経過した八月八日に、本人に手渡すことになる。この日のことは、私にも理解できないが、緊張した所為だろう記憶があまりにも少ないので、ここに記述したところで不鮮明になると判断し、省略する。ごく普通に、平常と変わらぬ態度で渡せただろうと思う。いや、そう思いたいのかもしれない。私という人間は、緊張すると挙動が怪しくなるのを自覚している。妙な言動であれを寄越してしまったのではないかと不安なのだ。
 そして不安は未だに続いている。
 あれから数日が経過するが、私が渡しただろう小さな指環は姿を消した。彼女が身につけているのを見たのは、そう、あの日にたった一度だけだ。気に入らなかったのか、それ以外の理由からか、彼女は指環をしていない。選択を誤ったというわけだ。
 そして、これが現在の私へ繋がる顛末である。
 説明するほどのことは、これ以上は出てこない。

 さてそして、私が気付いたことだ。
 誰か他人を、ことさら「異性を好く」ことと、その人物と「恋仲になりたい」と願うことはイコールではない、ようだ。
 私は、もはやそう認識してもいいだろう。ここに明記するが、確かに彼女を、異性として意識して好いているようである。疑惑がまだ完全に晴れたわけではないが、それを含めて意識しているのは確かであるし、他の誰とも違うおかしな思いを抱いているのも事実、観測している。だから、こうして表現する。私は彼女を異性として意識し、好いている。
 だが、そのことと、「恋仲になりたい」という願望はイコールではつなげられないのだ。これはロジックで説明できるような正確な理屈ではないから、あまり文章には出来ないが、それでも多少は記録として補足しておこう。
 私は友情と恋愛の区別がつかない。友情からくる「好意」、恋愛感情からの「好意」の区別がつかない。だが、この二つのうち「友情」は知っている。だから定義もあるのだが、他人の語る「恋愛」は、まだ私の中には無いようである。つまり、定義できる「恋愛感情」を知らないのだ。だから「恋愛感情」がつまり「異性を好く」ことにあるのか「恋仲になりたい」と願う欲にあるのか不定、なのである。
 私は、彼女に関しては「恋仲」としての相手を望んでいないようである。それは彼女自身の過去にも原因がある。プライバシーを書く事は無いが、別の誰かの事を想っている彼女に意思を告げて恋仲になりたい、とはどうしても思えない。いや、そのことが無くてもだ、私は彼女と「恋人同士になりたい」のかという問いに、「Yes」を出せない。
 何故か。やはり、自分というものに自信を持っていないのだろう。未だに経験が無いから、そのことに対して未知が溢れているのだ。何があるのかわからない、だから対処を用意できない。私は不器用な人間だから、突飛に行動することが多いくせに善後策を常に模索している。なんとかなる、と楽天的にアクシデントを起こしているわけではないのである。常になんとか「出来る」範囲でのアクシデントを楽しんでいる。だから、本当の意味での「ハプニング」には滅法弱い。いや、自ら起こしているレベルでのハプニングにはある程度対処できるという自負があるが、その処理能力を超えた出来事にはきわめて弱い。そして、恋愛という不確かなゾーンではハプニングの警戒深度を予測できないため、それに対する備え、体勢を整える余裕を持っていない。だから、怯えている。
 怯えているから、私は彼女と恋仲になりたいと思えないのか。そうかもしれない。
 そうではないかもしれない。

 明後日、彼女のいないあの場所で、友人たちに相談してみようと思う。
 異性を好くことと、恋仲になりたいと願うこと。この二つは君たちの中ではイコールか?

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