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たまには常日

・リトルウィッチの話が出てきて、
 「そーいやーまだやってねえよカルテット」
 とか思い出すやる気の無さ。大槍に謝る。ごめん。

 世界樹の迷宮のキャラデザ、大槍に任せりゃ良かったのに。
 主に私個人と話題性において。

・風邪でぶっ倒れて即復活→ぶり返しダウンのコンボを決めてからこっち、ずーっとアイコン描いてる。
 「街」シーンで使う4コマアニメ+ダンジョンで使えそうな、罠とかそんなアイコン。
 特に街なんてアニメさせるアイデアはあっても、4コマじゃ到底足りない枚数が必要だったり、静止画として使える「顔」とか言うらしいものもその4コマの中に含めるという信条がハードルをより高めている感じです。自分で自分の首絞めるの好きな、私。
 罠アイコンは、半分ほどアイデアを図面化してから「これピクチャにして大画面で扱ったほうがインパクトあるよな。宝箱と同じに」。またピクチャ管理が面倒になる気がするけど、そもそも宝箱はピクチャで用意していたし、そういうリアクション、演出面は現時点でまったく手付かずなので、手間は大したことない。はず。

 いやー、しかししかし。
 以前の自分なら、演出面だとか台詞回しだとか、一番目に付くだろうところから手をつけて、結果、構造が見えなくなって投げてたのに。笑えるわ、今じゃー率先して下地固めしてるんだもんな。ようやくお前にも見えてきたようだなサトシ。つって。「へぃ、おやびん!」
 この一点を分析すると、やっぱり素養として「根っからの裏方好き」ってのもあると思う。だけど、舞台で殺陣演じるのは、裏方作業よりもっと好きだという自分もある。だけど、焦点を絞って「殺陣を演じる」のが好きなのかってーと、そうじゃないんだろうな。もっとよく考えてみると、「殺陣を演じる」のが好きなんではなく、「殺陣の演出、立ち回りを考える」のが好きな自分が見えてくる。そして、そのために必要な足場、劇場を考えて作る、それがもっと好きだ。
 結局、自分の目の行き届く「作品作り」が好きなんだろうな。
 観客席からよりもソデからのほうが、舞台はよく見える。
 で、その寸劇そのものの出来栄えには興味が無いというか。完成したら、それはもう「作品」であって「作品作り」が好きな自分の手から離れた別のものだ、だけど自分の思想を忠実に体現した自分そのものでもある、というちょっと歪んだ愛のカタチ。
 感想の声は聞ければ聞きたいけど、作品に対する感想しかなくて、ちょっと不満。

 私を見て!もっと!

 私ってヒトはつまり、いつだってそこに行き着く。それが行動原理だ。

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