企画書と、あとクオリアについて
・今日は書くべき事が大きく二つに絞られるため、まあおおむねタイトルどおりのエントリとなる。
・友人から企画書とはなんたるかという説明を、それもおおよそにではあるが耳にしたので、さあ私もゲームの企画書を書いてみようじゃないか!と奮起してみる。が、まず、私が耳にし、理解し、認識している企画書とはどういうものかを記述しておく。その上での「私の企画書」である。
・端的に、しかも魅力的に。
要するにその企画の概要を伝え、「ウリ」を提示するものだ、ということだろう。
これを念頭に、以下に、多少の言い訳がましい解説を加えながら企画書を書いてみる。
企画書本文にはこのような解説は一切付随させないのが本来の有り方である、あくまで「戯言日付」エントリであるということをご理解いただきたい。
・タイトル:サモンアリナー
・ジャンル:シミュレート・トレーディングカードゲーム
タイトルは企画書のタイトルでもあるし、内容にイメージを付加する意味でも必須である。
私個人は、あまりラベリングが好きではないのだが、端的に表現するにはこれが最も現状便利な概念であるため、やむなく使用することとする。つまり、手始めに「ジャンル」を明示する。とはいえ、これもあまりに漠然としているし、内容の核心を突いていなければならない(「端的に表現する」必要性)ため、一句二言程度の分量を割くこととした。
「トレーディングカードゲーム」については既存のラベルイメージがあるのでそれを参考に、さらに「シミュレート」という言葉を枕に添えて内容の概念的具体化を計る。シミュレートという語を選んだ理由は、そもそも卓上で行われるべきトレーディングカードゲームをコンピュータ上で再現する(ランダムな要素も含めて一切の処理を他者に委ねる)、という点がモデル実験的であるという私の偏見がひとつ。卓上で行うにはあまりに煩雑な処理が必要になるため、スムーズな展開を行うにはあくまでもコンピュータの協力が必要だろう、これはあくまでも空想の「トレーディングカードゲーム」のシミュレートゲームなのだ、というメタっぽさがひとつ。
・内容について
えー、後に続く。
・クオリアというのが、最近の流行のひとつにある。
これを説明するのに「氷に触ったときの"冷たい"感じ。のような、この"~感じ"をクオリアという」といった説明がなされる場合が多いのだが、これは理解しやすい反面、非常に誤解を招きやすい解説である気がする。
私が今勉強中の、脳科学においてこれを真に理解するのには、ある程度、「私が「認識」する、という現象において、脳の内部でいかなることが起こっているのか」を把握しておく必要がある。雑把に説明すれば「私という意識は脳の内部にのみ存在する」「認識する時、脳の中ではニューロンが発火している。認識とは、ニューロンの発火によって直接発生するものだ」ってことらしいが、これも混乱を招くか。とにかく、「意識=心は脳の中にあるものだ」という考えを元にして理解していなければならない。
哲学におけるクオリアであれば、「物事とは独立して存在する、感覚データ」(つまり例に挙げたような "氷"としての側面に対して"冷たい"という「感覚」のこと)であると理解しておけば良い気がします。ただ、これも真に理解したければ、やはり脳科学のクオリア(認識、その結果の感覚)についても多少の知識が必要か、と。いや、知ってればより楽しめます、かな。
脳科学のクオリアについて、とても分かりやすく解説されているのは、茂木健一郎氏の著書のいずれかですかね。少なくとも手元にある二、三種のうちで理解が早いのは彼のものです。
ちくま学芸文庫の「クオリア入門」とか、オススメしておきます。ただしこれは、あくまで「認識=脳内」「そのうえでのクオリア概念」という思考を持つ彼の他著への導入であるので、脳科学におけるクオリアの立ち場所を知る、という程度に留まる感じです。ちなみにアフィリエイトではないですよ。哲学書でもないですよ(重要)。
一歩踏み込んだものでは、「脳とクオリア」とか。これは今現在読んでいるものなのでノーコメントですが、小説らしい読みやすさと、大切な部位を何度も何度も何度も反駁して、前提を忘れさせないような構成になっているので、なんか理解したような洗脳されたようなw という感じです。専門書とは思えない読みやすさなので、理解したつもりになりたければ、これもお勧めです。